カリグラフィーの歴史


 カリグラフィーとは、ギリシャ語で<美しい書き物>という意味で、日本や中国の書道、アラビア語の書道も含まれます。絵画などと大きく違うのは、感覚のみに訴える芸術ではなく、意味のある言葉を素材としたものです。

 西洋のカリグラフィーが日本で広まるようになってから20年以上が経ち、この美しいアルファベットを書きたいという人はますます増えています。コンピュータの普及などで手書きすることが少なくなっている現在、‘手書き’文字は、心をこめて気持ちを表現できる人間らしい楽しみとなり、私たちの生活を豊かなものとしてくれるでしょう。


 活版印刷が発明される以前は、文字は当然手で書かれていました。なかでも、聖書のように信仰にかかわる書物は、写本そのものに価値があり、‘輝かせる’を語源とするイルミネーション(彩飾)が発達し、製本には宝石や象牙を使うなど、宝物のように扱われたものもありました。   文字を記録したものという範疇で考えると、紀元前にも文字や記録の長い歴史がありますが、現代カリグラフィーのもととなっている2000年にわたって使われてきた書体についてとりあげます。


紀元前1世紀ころから使われていたローマンキャピタル体は、主に記念碑や墓石などに刻まれる書体で、トラヤヌス帝の戦勝記念碑@などが有名です。同じころ使われていたラスティック体Aは、記念碑に刻まれる文字としても、書籍用の文字としても使われました。ローマ建国の叙事詩ヴェルギリウスの『アエネイス』などが残されていますが、キリスト教関連の写本はありません。


4世紀ころからアンシャル体Bが使われるようになります。313年ローマでキリスト教が公認された後、主にキリスト教関連の写本に使われました。
 アンシャル体から少し遅れて、実用的で書きやすいハーフアンシャル体も使われるようになり、アイルランドやイギリス、ヨーロッパ大陸各地の書体に大きな影響を与えました。
 キリスト教は、ローマからイギリス、アイルランドに伝播していきました。 アイルランドでは、ケルトの影響を受けながら、独特のキリスト教文化が育ちます。写本の制作も盛んで、アイルランド大文字体で書かれたケルズの書Cなど、美しく彩飾された写本が多く残されています。このほか、アイルランド小文字体、イギリスのアングロサクソン大文字体・小文字体が使われ、合わせてインシュラー書体と呼ばれます。
 キリスト教はアイルランドの修道院で熟成して、そこからヨーロッパ大陸に広がっていきました。修道士たちは福音書をたずさえて大陸に伝道してゆき、各地に建てられた修道院の中には写本室が設けられました。

 

その後、ヨーロッパではゲルマン民族の大移動の余波を受け、めまぐるしく支配者が入れ替わり、ローマ教会の直接の影響も衰えていきました。それにしたがって、書体もローマの影響がうすれ、いわゆるナショナルハンドといわれる特定の地域の特徴を持つ書体が現れます。代表的なものはスペインのヴィシゴシック体、フランスのメロヴィンジャン体、モンテ・カッシーノ修道院のベネヴェンタン体などがあります。


 

8世紀の終わりころ、ほぼヨーロッパ全土を統一したフランク王国のカール大帝は、修道士ヨークのアルクィンたちを招聘して、さまざまな貴重な写本を改訂させました。これをカロリングルネッサンスといい、ここで使われたのがカロリンジャン体Dで、それまでの多くのナショナルハンドを凌駕してヨーロッパからイギリスまで広がりました。

12、3世紀になると、ヨーロッパ各地に大学が創設されるようになり、写本の需要も飛躍的に増え、写字や彩飾を専門とする人々も現れてきました。書体も、スペースを節約できるように幅が狭められ、ゴシック体Eへ変ってきました。
 修道院で使われていた祈祷書をもとに、一般の信徒用に書かかれた時とう書は、14・5世紀にかけて盛んに制作されました。王侯貴族の作らせたものは、非常に贅沢で美しいものが多く残されています。書体はゴシック体、ゴシック体の一種で丸みのあるルタンダ体F、ゴシック体の草書バスタルダ体Gの作品が多く、写字生のみでなく、多くの彩飾家も活躍しました。


14世紀ころから始まるルネッサンスは、書体にも大きな影響を与えました。ルネッサンスを代表する人文主義者たちは、自分たちの思想を表すのにふさわしいヒューマニスト体(古典書体)を使いました。ヒューマニスト体は活字のローマン体のモデルにもなり、ほとんど形を変えることなく現代でも使われています。
 その後、ヒューマニスト体に傾斜をつけてできたのがイタリック体です。フォーマルなものから草書的なものまで、さまざまな形で書かれました。早く書けて美しいイタリック体Hは、教皇庁の書体として採用され、最初の書き方マニュアルにも使われました。 中世の終わりを告げるルネッサンス以降、印刷術の発明とあいまって、本の環境は大きく変りました。生産という面では、手で書く写本は質量ともに印刷本には太刀打ちできなくなりました。しかし、読み書きできる人が増えるに従って、普通の人々が文字を書く機会が飛躍的に増え、書字と計算を教えるライティングスクールではライティングマスターが活躍します。美しい文字の書き方の本も各地で出版されるようになりました。


 

17世紀になると、イギリスでは、速く書けて美しいカッパープレート体Iが発達します。これはビシネスハンドとして使われることが多かったので、商業など実務的な場面で使われました。ジョンストンがカリグラフィーとして取り上げなかったのも、このへんに理由があるのでしょう。
アメリカに伝わったものは、スペンサリアン体パーマー体などの書体となり、人気を博しました。一方、ドイツを中心とした北ヨーロッパでは、ゴシック系の文字が長い間使われ、とくにフラクチャー体は、印刷の活字としても改良を重ね、20 世紀の半ばまで主流を占めていました。

 

産業革命以降、近代化・機械化が進むなかで、印刷術の分野でも審美的な面での衰退は深刻なものになっていました。19紀末のイギリスでは、この傾向を憂えたウィリアム・モリスたちがアーツアンドクラフツ運動を起こし、文字や書籍に対する見直しが進められるようになりました。その影響を受けたエドワード・ジョンストン20世紀の初めにカリグラフィーを復活させ、教育や著作を通して多くの現代カリグラファーを育て、ファウンデーショナル体Jゴシサイズドイタリック体などの書体を作りました。その後、ジョンストンの教えを受けた多くのカリグラファーを中心に、カリグラフィーは世界各地に広がっていきました。

▲@ローマンキャピタル体/トラヤヌス帝の記念碑
▲Aラスティック体/ヴェルギリウス
▲Bアンシャル体/銀文字詩篇
▲Cアイルランド大文字体/ケルズの書
▲Dカロリンジャン体/グランドヴァルバイブル
▲Eゴシック体/ベリー公の時とう書
▲Fルタンダ体/スフォルツァ時とう書
▲Gバスタルダ体/ヘンリー八世の時とう書
▲Hイタリック体/アリッギ
▲Iカッパープレート体/ユニバーサルペンマン
▲Jファウンデーショナル体/ジョンストン


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